ヴェルニー公園

ヴェルニー公園 横須賀

施設情報(2024年5月現在の情報です)

住 所〒238-0042 神奈川県横須賀市汐入町1-1 (地図)
電 話046-845-6660(ヴェルニー公園管理事務所)
入園料無料
※一部有料施設あり(ワーキングスペース / ティボディエ邸体験型ムービー / レストラン)
時 間24時間
※一部時間制限あり(ヴェルニー記念館 / ワーキングスペース / ティボディエ邸 / レストラン)
休 日無休
※一部定休日あり(ヴェルニー記念館 / ワーキングスペース / レストラン)
駐車場第1駐車場:普通車10台(障がい者用2台) / 第2駐車場:普通車4台
普通車1時間420円、以降30分210円、24時間入出庫可
ホームページhttps://www.kanagawaparks.com/verny/

 

ヴェルニー公園
「ヴェルニー公園案内図」2024年5月現在最新版

 

ヴェルニー記念館

ヴェルニー公園
JR横須賀駅から徒歩約1分、ヴェルニー公園JR横須賀駅側入口(公園の西側の端)です。ここから入って公園内を東側(向かって右側)に向かって歩いていきます。その前に入口左側にある建物内の見学から。
ヴェルニー公園
入口入ってすぐ左にある建物は「ヴェルニー記念館」。「ヴェルニー公園」の名前の由来となったフランソワ・レオンス・ヴェルニー(François Léonce Verny)の功績と横須賀製鉄所の意義を伝える施設。2002年5月1日開館。
入館無料。営業時間9:00~17:00。休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始(12月29日~1月3日)。

ヴェルニー記念館Verny Commemorative Museum

横須賀製鉄所(造船所)建設を指揮し、日本近代工業化の礎をつくりあげたフランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーの功績と横須賀製鉄所の意義を永く後世に伝えるために、建てられました。横須賀製鉄所で使われていた「スチームハンマー(国指定重要文化財)」なども展示しています。ヴェルニーは、来日前フランス・ブルターニュ地方のブレスト市(横須賀市姉妹都市)にある海軍施設の造船技師でした。ヴェルニー記念館の建物は、ブルターニュ地方の住宅の特徴をとり入れています。

現地案内看板より
ヴェルニー公園
3トン門形スチームハンマー(1865年オランダ製)
平成9年(1997年)まで「在日米海軍横須賀基地艦船修理廠」で使用され、平成12年(2000年)に横須賀市に移管された。平成15年(2003年)5月29日、国指定重要文化財。
ヴェルニー公園
0.5トン片持ち形スチームハンマー(1865年オランダ製)
昭和46年(1971年)に横須賀市へ移管され、横須賀市中央公園で屋外展示されてきた。昭和54年(1979年)横須賀市指定重要文化財。平成10年(1988年)6月30日、国指定重要文化財。
ヴェルニー公園
戦艦陸奥の1/100模型(改装後)
船の科学館が所蔵していたものを横須賀市が借用してここに展示。大正7年(1918年)6月1日に横須賀海軍工廠で起工され、大正9年(1920年)5月31日進水、大正10年(1921年)竣工。昭和9年(1934年)~11年(1936年)にかけて横須賀海軍工廠で大改装が施された。

 スチームハンマーとは、蒸気(スチーム)を動力としてハンマー(槌)を持ち上げてこれを落下させ、加熱した金属素材に打撃力を加えて鍛造作業を行う工作機械で、19世紀半ばにイギリスで実用化されたものである。
 この2台のスチームハンマーは慶応元年(1865)に製造され、その翌年に江戸幕府が進めた「横須賀製鉄所」の据え付けの機械としてオランダから輸入されたものである。明治時代以降も改編や拡張が続けられた後身の施設である「横須賀造船所」、「横須賀鎮守府造船部」、「横須賀海軍造船廠」、明治36年(1903)から昭和20年(1945)までは「横須賀海軍工廠」の付属機械として稼働し、戦後は「在日米海軍横須賀基地艦船修理廠」で使用されてきた。
 (中略)
 この2台のスチームハンマーの移設と復元修理は、平成14年(2002)3月に完了し、ヴェルニー記念館も同年5月1日に開館した。
 このスチームハンマーは日本の近代化が本格的に開始された頃の技術を伝える重要な歴史遺産として永久に保存されるものである。

現地案内看板より

 大正10年(1921)、世界初の40センチ砲搭載戦艦”長門”の二番艦として竣工し、昭和9~11年(1934~36)にかけて大改装が施され、攻撃力・防御力ともに飛躍的に強化されました。しかし、昭和18年(1943)に瀬戸内海の柱島の南西約2kmの地点に碇泊中、原因不明の爆発事故を起こし沈没しました。(後略)

現地案内看板より

 

ヴェルニー公園から見える艦船

ヴェルニー公園
護衛艦183「いずも」(撮影日:2024年5月30日)
横須賀港に沿って細長いヴェルニー公園は、西側は海上自衛隊に接し、対岸には米海軍横須賀基地があり、日米の艦船を眺めることができるスポットになっています。ヴェルニー記念館の裏手に回ると、海上自衛隊横須賀地方総監部の建物横の逸見岸壁に停泊する艦船をとても間近に見ることができます。
ヴェルニー公園
砕氷艦「しらせ」(撮影日:2020年8月20日)
昔々呉市に住んでいた頃、しらせに乗ったことがあるなぁと思い出し(幼かったので「乗った」という事実以外覚えてない)、ネットて調べてみました。【昭和58年(1983年)5月28日呉港入港、初日から6000人と大盛況(中国新聞)、今のしらせは2代目で、当時の初代しらせは2008年に退役後、スクラップ危機を乗り越えて今は船橋港に係留され第二の人生(船生)を送っている】
初代しらせ、意外と近くにいることが分かり40年ぶりに会いに行きたくなりました。

 

ヴェルニー公園
手前:護衛艦ゆうぎり / 奥:補給艦ときわ (撮影日:2024年5月30日)
ヴェルニー公園
潜水艦と曳船(撮影日:2024年5月30日)

 

戦艦陸奥主砲

ヴェルニー公園
ヴェルニー記念館を出て公園内を歩いていきます。(撮影日:2015年10月)
ヴェルニー公園
2016年9月、戦艦陸奥に搭載されていた主砲がこの場所に展示されました。(撮影日:2018年10月)

 

ヴェルニー公園
昭和18年(1943年)に原因不明の爆発事故で乗員1121人と共に沈没した戦艦陸奥。昭和46年(1971年)に引き揚げが行われ、主砲1門が昭和49年(1974年)からお台場にある「船の科学館」で展示されてきましたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに伴う再開発で移設が求めらていました。これに対して横須賀市で「陸奥の里帰りを支援する会」が発足。約2500万円の寄付金と3万3千人の署名を集め、海の科学館からの無償譲渡が決定。この主砲は昭和11年(1936年)の横須賀海軍工廠での大改修時に搭載されたもので、80年後の2016年9月、この地に里帰りを果たしました(お披露目式典は2017年3月25日)。全長18.8メートル、重量102トン。
ヴェルニー公園
2021年11月、主砲装填口の前面に主砲弾が追加展示されました。全長1738.5mm、重量1020kg。自衛隊横須賀基地内にあったものを無償貸与してもらったもの。この1トンの砲弾がなんと38km先(この場所から羽田空港を越えたあたり)まで届いたのだそう。
“本砲弾は「長門」型戦艦の主砲で用いられた砲弾で、九一式(昭和5年制式化)もしくは改修された一式徹甲弾です。” 案内看板より

 

ヴェルニー公園
尾栓部分
ヴェルニー公園
「戦艦陸奥主砲」説明板

 

戦艦陸奥主砲を過ぎて園路を進む

ヴェルニー公園
「戦艦陸奥主砲」を通り過ぎ、園路を歩いていきます。園路のど真ん中に存在感のあるクスノキ。
ヴェルニー公園
クスノキの先の園路。クスノキのところで45°くらい右に曲がる。

 

ヴェルニー公園
操舵輪型サイクルスタンド~黒船の操舵輪をイメージして造られたもの。
操舵輪の後ろにある六分儀型ホルダーに自転車の車輪をセットすると、自転車と操舵輪が一体となった姿が写真に撮れるとのこと。
ヴェルニー公園
CAFE CORSAIRE(コルセール) ⇒ 2022年3月14日をもって閉店。2022年4月より公園管理事務所となり、2023年1月からはワーキングスペースとしても利用されています。
また、この管理事務所の周りは「さくらの広場」となっていて、建物を取り囲むように桜の木が植えられています。

 

逸見波止場衛門

ヴェルニー公園
管理事務所横の公園出入口にある、平成元年(1989年)3月に市民文化遺産に指定された通称「逸見波止場衛門」。旧横須賀軍港逸見門の歩哨小屋。昭和4年~5年(1929年~30年)頃築と推定されています。
ヴェルニー公園
高さ約4m、八角形の鉄筋コンクリート造りで、下層部と中層部が茶色と黄土色のタイル張り、上層部がモルタル。キャップ帽みたいなかわいいドーム型の屋根は銅板葺き。前身の臨海公園が2002年に再整備されてヴェルニー公園となった際に、東に6mほど動かされているそうです。

逸見波止場衛門Hemi Gate Guardhouses

通称 逸見波止場衛門は1930年頃に造られ、正式名称は「海軍番兵塔・軍港正門門柱」と言い、横須賀軍港の正門でした。2棟ある塔の屋根は銅板のドーム状で、頂上の飾り(クーポラ)やひさしの形状から少年の帽子が連想されます。当時は、この門を入ると、正面に、海軍鎮守府や海軍工廠のある横須賀軍港に向かうための船着き場があり、横須賀軍港への船が発着していました。門には番人がおり、関係者以外が入らないよう見張っていたと思われます。海軍鎮守府や海軍工廠は、現在、この門のあるヴェルニー公園の対岸に見える在日米海軍横須賀基地に置かれていました。逸見波止場衛門は、日本遺産構成文化財の一つとして認定されており、海軍の歴史と面影を今に伝えてくれます。

現地案内看板より
ヴェルニー公園
道路から見て左側、「逸見上陸場」の表示板がついている。2019年9月の台風15号で屋根が破損し、2020年12月に修復作業が終わった時にはピカピカの赤銅色の屋根でした。緑青を吹くまでにはもう何年かかかりそうです。(撮影日:2024年5月30日)
ヴェルニー公園
道路から見て右側、「軍港逸見門」の表示板がついている。こちらはオリジナルの緑青色の屋根。
ヴェルニー公園
内部

 

逸見波止場衛門から公園内に戻り園路を進む

ヴェルニー公園
「逸見波止場衛門」を見学して公園内に戻り、再び園路を歩きます。
ヴェルニー公園
噴水

 

小栗広場

ヴェルニー公園
噴水を通り過ぎたところにある広場。以前は「開明広場」と呼ばれていたけど、今は「小栗広場」と名前が変わっているようです。
ヴェルニー公園
小栗広場の端に2体の胸像が海を見つめるように並んで建てられています。

 

ヴェルニー公園
フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1908)
“フランス人の造船技師で、海軍増強をめざした江戸幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年来日した。明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台や走水の水道の建設、レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の養成に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍し1876年帰国した。” 現地案内看板より
ヴェルニー公園
小栗上野介忠順(1827~1868)
“日本初の遣米使節をつとめ、外国奉行や勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所)建設を推進した。軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献したが、大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職を解かれ、領地の上野国権田村(群馬県倉渕村)で官軍により斬首された。” 現地案内看板より

 

ヴェルニー公園
「記念石」
2人の胸像の真ん中に置かれている。小栗上野介が斬首された上野国群馬郡権田村(→群馬県群馬郡倉渕村→2006年に高崎市に編入され現在は高崎市倉渕町権田)内の烏川の水沼河原の石。昭和28年(1953年)に臨海公園(現ヴェルニー公園)で開催された開港祭の時に倉渕村から寄贈されたもの。写真を拡大して、石に文字が刻まれていることに初めて気付きました。
ヴェルニー公園
「開港碑」
ヴェルニーと小栗上野介の顕彰碑。横須賀商工会議所が中心となり、ヴェルニーと小栗上野介の胸像と合わせて昭和28年(1953年)設置。

碑文「徳川幕府ノ末期時ノ勘定奉行小栗上野介ハ海国日本ニ造船所ノ必要ヲ覚リ百般ノ費用ヲ節シ囂々タル非難ノ中ニ仏国ヨリ技師ウエルニーヲ招キ横須賀製鉄所ヲ設クウエルニーハ此ノ設立ニ従事スルコト前後十年萬難ヲ排シテ之ヲ完成ス両氏ノ功ヤ横須賀市今日ノ礎ナリト信ズ」

 

横須賀製鉄所跡地

ヴェルニー公園
小栗広場から海沿いのボードウォークを歩き、展望デッキにやってきました。
ヴェルニー公園
展望デッキの先端から見た景色。
対岸が横須賀製鉄所があった場所。1871年、横須賀造船所に名称を変更。1884年、横浜の東海鎮守府を横須賀に移転して横須賀鎮守府となり、鎮守府直轄造船所となる。1903年、横須賀兵器廠と合併して横須賀海軍工廠となり、戦後は在日米軍の管理下となって現在に至る。

近代日本のルーツ 横須賀製鉄所The Yokosuka Arsenal : The roots of modern Japan

世界遺産の富岡製糸場のモデルとなった横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所)は、現在のヴェルニー公園の対岸あたりに、慶応元年(1965年)の鍬入れ式から様々な施設が建設され、横須賀の街とともの発展しました。
最新の加工機械などが導入され、日本の近代工業の礎を築くとともに、日曜休日制や労働時間、メートル法、健康診断などの新しい仕組みが横須賀製鉄所で始まりました。
また、正面に見えるドライドックは、当時は欧米諸国にも負けないものだったとされ、現在も現役で利用されています。

今も残る「横須賀製鉄所」Still in Use – The Arsenal’s Dry Docksのドライドック

ドライドックとは、艦船を修理するために使う施設です。正面に見える3基のドライドックは、向かって右から第1号、第2号、第3号と並んでいます。
水面近くに「A」、「B」の文字がある鉄の板が見えますが、それがドックの扉です。
明治4年(1871年)に完成した1号ドックは日本最古の西洋式の石造ドックで、今も現役で使われています。

現地案内看板より
ヴェルニー公園
第1号ドック。明治4年(1871年)完成の日本最古の西洋式石造ドック。
ヴェルニー公園
「DRY DOCKS」と書かれた建物を挟んで右が第2号ドック、左が第3号ドック。第2号ドックは明治17年(1884年)完成、第3号ドックは明治7年(1874年)完成(※3号より後に大型の2号が完成した)。

 

ヴェルニー公園
ヴェルニー公園のボードウォーク下の、上架場(船を陸に上げる場所)か何かの遺構と思われる場所。石積み護岸自体かなり古いものに見えます。
ヴェルニー公園
小さい船の船着き場だったのかな?と思われる場所。両側が階段になっている。

 

展望デッキを過ぎて園路を進む

ヴェルニー公園
「洋風あずまや」
2022年3月、あずまやの中に街なかピアノが設置されました。演奏可能なのは土日祝とローズフェスタ期間中の10:00~16:00(雨天・雨の可能性のある曇天時は不可)。ピアノ教室や団体の演奏会にも利用可。

 

ヴェルニー公園のバラたち

ヴェルニー公園
ヴェルニー公園はバラの名所でもあります。
例年だと春バラは5月上旬~下旬、秋バラは10月中旬~11月中旬ごろが見頃で、春秋合わせて約130種類1,300株のバラが植えられています。
「バラ越しの艦船」なんて写真が撮れる場所はそんなにないんじゃないですかね!?
ヴェルニー公園
春と秋のバラの見頃時期に合わせて「ローズフェスタ」が開催され、音楽ライブやバラ苗の販売会、マルシェ、ワークショップなどが楽しめます。
定期的にバラの管理講座なども行われているようです。

 

ヴェルニー公園
バラの見頃時期には、普段は立入禁止のフランス式花壇内の芝生エリアが解放されてより間近にバラを鑑賞・撮影できるようになります。
2023年10月、芝生エリア内フォトスポットのアイテムが舵輪型のオブジェ→どこでもドア風ドアに変わりました。

 

ヴェルニー公園
アライブ
ヴェルニー公園
バレリーナ
ヴェルニー公園
イエローサブマリン
ヴェルニー公園
かおりかざり
ヴェルニー公園
ルージュメイアン
ヴェルニー公園
エグランタイン(マサコ)
ヴェルニー公園
アンジェラ
ヴェルニー公園
ボニカ’82
ヴェルニー公園
ザ フェアリー
ヴェルニー公園
ゴールドリーフ
ヴェルニー公園
プリンセス ミカサ
ヴェルニー公園
ツベルゲンフェー’09
ヴェルニー公園
オリンピック ファイアー
ヴェルニー公園
レオナルド ダ ビンチ
ヴェルニー公園
プリンセス シャルレーヌ ドゥ モナコ
ヴェルニー公園
マジカルミラクル

 

ヴェルニー公園
洋風あずまやを囲むように設置されているフランス式花壇(撮影日:2018年10月)。
ヴェルニー公園
⇒フランス式花壇の東側半分が工事中になっていました。横須賀市近代遺産ガイダンスセンター(仮称)建設中とのこと(撮影日:2020年8月)。

 

よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸

ヴェルニー公園
⇒2021年5月29日、「(仮称)」だった建設中の建物が「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」としてオープンしました。
ティボディエ(ジュール セザール クロード ティボディエJules César Claude Thibaudier)とは、横須賀製鉄所の副首長として明治2年(1869年)に来日したフランス人で、首長ヴェルニーが帰国した後も明治10年(1877年)まで在籍しました。

ヴェルニー公園
ティボディエ邸の出入口側(前の写真の反対側)。
横須賀製鉄所副首長ティボディエの官舎として明治2年(1869年)に建築されたティボディエ邸。平成15年(2003年)に解体されましたが、その小屋組みを移設復元した実物展示や、横須賀製鉄所の歩みなどを展示しているのがこの「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」です。※外観は復元ではなく再現したもの。
入館無料(シアター観覧200円)、定休日なし(臨時休館あり)、営業時間9:00~17:00。

よこすか近代遺産ミュージアムYokosuka Modern Heritage Museum ティボディエ邸Thibaudier Residence

幕末の1865年、江戸幕府の勘定奉行小栗上野介が中心となり、フランスの海軍技師レオンス・ヴェルニーを招き横須賀製鉄所の建設が始まりました。
ティボディエ邸は、横須賀製鉄所副首長であったティボディエの官舎として、1869年頃に建築された本州最古級の西洋館です。
よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸は、その当時の外観を再現するとともに、館内では、木骨煉瓦造りの壁とトラス構法の屋根構造を、当時の建物から移設した部材で復元しています。

現地案内看板より
ヴェルニー公園
ティボディエ邸エントランス
ここでは、大型モニターやデジタルマップなどを使って横須賀市内に点在する近代遺産や観光スポットを紹介しています。これらのスポットを「サテライト」とし、サテライト間を「ルート」でつなぎ、市内全体を大きな「ミュージアム」として周遊を促す「よこすかルートミュージアム」の拠点としての役割を担っているのが、ここティボディエ邸です。

常駐しているハイカラさんスタイルのスタッフさんに直接聞いても丁寧に教えてくれますよ。
また、写真上部に見えている屋根を支えるトラス構造の骨組みの木材は、旧ティボディエ邸解体後に保存していた当時の部材を使用して復元されています。
ヴェルニー公園
旧ティボディエ邸解体時の資料から、当時の邸宅内を想定し再現した部屋。

 

ヴェルニー公園
ティボディエ邸のテラス

 

ヴェルニー公園の石碑群

ヴェルニー公園
ティボディエ邸裏の園路。入口すぐの「戦艦陸奥主砲」のそばにあったのと同じカリヨン時計台があり、この辺りは公園管理事務周辺同様「さくらの広場」となっています。
ヴェルニー公園
時計台を過ぎて左に曲がると、園路に沿って石碑が並べられています。手前から、文学碑1基と海軍に関係する石碑が5基。臨海公園時代に公園内に点在していたものを、平成13年(2001年)ヴェルニー公園に改装された時にここに集められたのだそう。

 

ヴェルニー公園
正岡子規の文学碑(平成3年(1991年)11月建立)
「横須賀や 只帆檣の 冬木立 子規」
“明治21年(1888年)8月、正岡子規は夏季休暇を利用して、友人とともに汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉に遊んだ。碑の句は、横須賀港内に連なる帆檣(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集「寒木落木」に収録されている。” 案内看板より
ヴェルニー公園
軍艦沖島の碑(昭和58年(1983年)12月5日建立)
碑文表「原始 海は生命の故郷であった その海に果て その海深く眠る

戦友たちの御魂やすかれと いのちながらえしもの あい集い 再び いくさあらすなと
ねがうものなり
浮雲一片流北辰 何人不起望郷情 有時霊魂亦還家 夜半南星漂蒼海」
碑文裏「跋文 沖島は昭和十一年九月三十日竣工基準排水量四四七〇屯の日本海軍最大の敷設艦であった。機械水雷の敷設艦として支那方面の沿岸封鎖作戦あるいは南太平洋海域の幾多の海戦に参加昭和十七年五月十一日ソロモン群島ブカ島クイーンカロラ沖四十浬の地点において海底の柩と化した。四十四名の遺体を乗せて沈没当時の姿のまま海底に眠る艦を思うと生存者一同いたたまれぬ思いにかられる。ここに慰霊碑を建立亡き友の望郷の心を偲びご遺族をお慰めるものである。」

 

ヴェルニー公園
軍艦長門碑(昭和51年(1976年)5月27日建立)
碑文表「ありし日の 聨合艦隊旗艦長門の姿を こゝに留めて 昭和激動の時代を偲ぶよすがとする 政一書」
碑文裏「ここに記念する軍艦長門の勇姿は、昭和初頭のそのさながらの艦容である。長門は大正六年八月二十八日、呉海軍工廠において起工し八年十一月九日命名進水、九年十一月二十五日に竣工した。この翌年横須賀で建造された同型艦陸奥と共に、技術の粋を尽くした世界最大最強の戦艦といわれた。40cm主砲を始めて搭載し、檣楼や防御方式など多くの独創を採り入れた最初の高速戦艦でもあった。其後さらに昭和十一年まで大改装が施され艦容を一新している。就役以来横須賀鎮守府に所属し、久しく聨合艦隊旗艦となり、国の護りとして国民の心に親しまれた。大東亜戦争はもとより諸方に活躍し終戦に至るまでその巨影を完うした唯一の戦艦である。昭和二十年九月十五日を以って艦籍を解かれ、ビキニの原子爆弾実験にさすがにその強靭さを示しながら名艦の終末を告げた。いま追惜の念から、国民有志の醵金によって、旧母港の勝地にこの碑を建てる。」
ヴェルニー公園
國威顕彰(建立年月日不明)
軍艦の艦橋を模したデザイン。正面に「國威顕彰」の文字、裏面にはこの顕彰碑が造られた当時の領海地図と碇の絵が描かれている。

碑板が全てはがされており、詳細不明。

 

ヴェルニー公園
軍艦山城之碑(平成7年(1995年)10月25日建立)
碑文「軍艦山城は横須賀鎮守府管下最初の超弩級軍艦として平時の連合艦隊において優れた成績を挙げ太平洋戦争勃発するや各地に転戦し、戦局の変化により悲惨な運命となった昭和十九年十月捷第一号作戦において西村艦隊の旗艦として比島スリガオ海峡に突入し数倍に及ぶ米艦隊と激戦、集中砲火の的となり又魚雷艇及び駆逐艦の魚雷攻撃を受け、大破し沈没寸前まで前部砲塔からは間断のない砲撃が続けられたで有りましたが、悲愴にも力つきた。
 山城は乗員千六百余名と共にスリガオ海峡の海底深く沈んでいった。時に昭和十九年十月二十五日午前四時十九分。
 ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈り致し追悼慰霊祭を挙行し世界平和の願いをこめ、再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し此の碑を建立する。」
ヴェルニー公園
海軍の碑(平成7年(1995年)11月17日建立)
碑文「浦賀に黒船が現れ、鎖国の夢を破られた幕府は、ここ横須賀の地に製鉄所を建設し、近代海軍の創設を企画した。その後、明治維新により明治政府が樹立され、政府は、西欧諸国に比し一世紀以上の遅れを取り戻すべく、我が国の近代化に着手した。特に海軍の整備が重要視され、日清及び日露両戦役を経て、わが国の海軍は次第に整備充実され、世界三大海軍国の一つとして、その地位を占めるに至った。こうした近代海軍の創設及び成長という歴史の流れの中において、横須賀はその最枢要基地として、かつての一寒村からわが国屈指の軍港都市となり、発展を遂げることになった。しかしながら、その海軍も昭和二十年の太平洋戦争終結と共に八十年に亘る歴史を閉じることになった。海軍終息から五十年という節目に当たる本年、明治以来太平洋戦争終結までこの地にあった日本海軍の歴史、並びに太平洋戦争において亡くなられた多くの人々を偲びつつ、またわが国の永遠の平和を希求するため、この記念碑を建立する。なお、本記念碑は全国の海軍関係者及び有志から寄せられた浄財によるものである。
平成七年十一月十七日 海軍の碑建立委員会」

 

石碑群を抜けヴェルニー公園東側出入口へ

ヴェルニー公園
2023年1月15日にオープンした「AMALFI Marina Blu
七里ガ浜にある「AMALFI」の系列店。
ヴェルニー公園
「AMALFI Marina Blu」を通り過ぎ、汐入ポンプ場の脇を抜けた先が、、、

 

ヴェルニー公園
「いこいの広場」
ここがヴェルニー公園の東の端っこで、ベンチや子供向け遊具がある広場。新年カウントダウンやカレーFesなど、イベントにもよく使われる広場です。
公園を出て京急汐入駅まで徒歩約5分。

 

【おまけ】YOKOSUKA軍港めぐり

ヴェルニー公園
「いこいの広場」からヴェルニー公園を出て、スターバックス脇を通り抜けた先にあるのが「YOKOSUKA軍港めぐり」の発着点の汐入桟橋。
ヴェルニー公園
軍港めぐりのチケットは、汐入桟橋に隣接する「コースカベイサイドストアーズ」2Fの汐入ターミナルで購入。基本料金2,000円、平日料金1,800円など。基本無休(海象などによる欠航あり)。詳細はYOKOSUKA軍港めぐり公式ページで。

横須賀港は、1865(慶応元)年に横須賀製鉄所が建設されたことを契機に、日本海軍の拠点として発展してきました。横須賀本港と長浦港は、米海軍と海上自衛隊が利用しており、軍港めぐりは、両方の艦船を間近に見ることができるクルーズです。海上自衛隊の潜水艦や護衛艦、米海軍のイージス艦、運が良ければ空母、砕氷艦(南極観測艦)など迫力満点の艦船を見ることができます。館内では、個性あふれる案内人が毎日変わる艦船の名前や役割をわかりやすく解説し、クルージングを盛り上げ、楽しませてくれます。また、その日によって艦船も案内人も違うので何度もワクワク体験を味わうことが出来ます。ぜひ歴史ある横須賀のまちを海から眺めて楽しんでください。

よこすかルートミュージアム公式ページより
ヴェルニー公園
YOKOSUKA軍港めぐりの主力船「SeaFriend7」。定員250名。

 

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