満願寺

満願寺 横須賀

DATA①

宗派臨済宗建長寺派
山号岩戸山(いわとざん)
寺号満願寺(まんがんじ)
創建1184年?
開山大達明岩正因禅師
開基佐原義連(さはらよしつら)
本尊観音菩薩

DATA②

住所神奈川県横須賀市岩戸1-4-9
電話046-848-3138
駐車場檀信徒用駐車場あり
アクセス徒歩
 京急北久里浜駅から30分
 京急YRP野比駅から40分
バス
 京急北久里浜駅から北久13/北久14岩戸バス停下車徒歩5分
 京急YRP野比駅から北久13岩戸バス停下車徒歩5分
拝観料金志納 ※収蔵庫内拝観は300円
拝観時間
ホームページhttps://mangan7676.wixsite.com/mysite

 

満願寺
満願寺境内案内図
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満願寺
横須賀風物百選看板
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満願寺
参道入口
満願寺
門には三浦氏の家紋があしらわれている。

 


 

満願寺
【本堂】
扁額には『満願禅寺』と書かれている。

 


 

満願寺
門をくぐり、左側に庭園。
庭園の中を歩けるようになっています。
満願寺
ちょっとした竹林の部分もあり。庭の中の所々に羅漢さまがいらっしゃいます。

 

満願寺
庭に沿って置かれた礎石、その上に羅漢像が置かれています。真ん中は桜の木。『福島県の千年桜といわれている三春瀧桜』と書かれていました。三春瀧桜の子孫樹ということなのかな??
満願寺
【横須賀市指定市民文化遺産 中島三郎助筆による句碑】
慶応2年(1866年)建立。中島三郎助の筆跡で、表には芭蕉の句、裏には建立年月日が刻まれている。

 

満願寺
左:「友」と書かれた石碑
中:2つの石祠
右:六地蔵
満願寺
【萬霊塔】天保2年(1831年)

 


 

満願寺
本堂裏、六地蔵横にある階段を上る。
満願寺
階段を上りきって振り返った景色。

 

満願寺
【旧観音堂】
元々は仏像を安置していたお堂。ここにあった仏像は今は収蔵庫(後述)に移されて安置されている。
満願寺
【佐原十郎義連公墳墓 改修記念碑】昭和59年(1984年)10月10日

 

満願寺
【伝佐原義連廟所】
旧観音堂の右側にある、佐原義連(佐原十郎義連・三浦義連)の墓と伝わる五輪塔。
佐原義連は三浦義明の子であり、三浦義澄とは兄弟。佐原城に居住していたため、佐原氏を名乗っていました。1180年の源頼朝挙兵時からの御家人で『吾妻鏡』にも度々登場し、『平家物語』には一ノ谷の戦いで源義経軍に属し「鵯越の逆落とし」で崖を真っ先に駆け下りて一番乗りを得た武勇が描かれています。
また、会津蘆名氏の初代としても知られていて、喜多方市にも佐原義連のものと伝わる墓があります。

 

「満願寺を建立した義連の思い」
満願寺観音堂に隣接する佐原義連廟所には、義連の墓とされる中世に遡る大きな五輪塔が安置される。佐原義連は三浦義明の子とされ、『吾妻鏡』にも源頼朝の側近の一人として頻出する。特に、1181年に叔父岡崎義実と上総広常の諍いを源頼朝の御前で仲裁して御意に叶った逸話と1184年の一ノ谷の戦いにおける奮戦が知られている。満願寺からは源頼朝が発願した永福寺と同范瓦が出土し、運慶工房による観音菩薩像と地蔵菩薩像の造像規模は、和田義盛の浄楽寺や北条時政の願成就院の諸尊に準じている。出土遺物や仏像は、佐原義連の鎌倉幕府における重要な位置づけを示している。

「佐原十郎義連公墳墓改修記念碑」横の案内板より

 

満願寺
廟所全体。脇にもたくさんの小さな五輪塔の一部が並ぶ。
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満願寺
瓦土塀。昭和59年(1984年)に建て替えられたもの。
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満願寺
【収蔵庫】
運慶工房の作と考えられる仏像が安置されています。
観音菩薩立像(国指定重要文化財)
地蔵菩薩立像(国指定重要文化財)
不動明王立像(横須賀市指定重要有形文化財)
毘沙門天立像(横須賀市指定重要有形文化財)
拝観には予約が必要。拝観料300円、学生(小中高)は無料。

 

満願寺
国の重要文化財二体の説明看板
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満願寺
市の重要文化財二体の説明看板
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※※※ 2022年7月6日から9月4日まで横須賀美術館「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展に出展中 ※※※

 
 

【新説】満願寺
建久5年(1194年)9月25日源頼朝が三浦郡矢部郷に一堂を建立する…
三浦一族、三浦義明を追善するための法要堂こそ満願寺であった。
境内からは浄土庭園と大型礎石建物の遺構、永福寺で使われていたのと同型の瓦が検出されており、浄土庭園に臨む堂に周丈六の阿弥陀坐像と周八尺の菩薩立像が鎮座していた。
よって、満願寺は佐原義連の創建とされていたが、その壮大な規模からして、鎌倉幕府直轄の造営寺院であったと推察されている。

公式ホームページより

昭和48年(1973年)・昭和63年(1988年)に行われた発掘調査、源頼朝が三浦義明供養のために三浦矢部郷内に一堂を建立しようとしたと『吾妻鏡』に書かれていたこと、源頼朝創建の永福寺との共通点の多さなどから、ここ満願寺は鎌倉幕府により創建された可能性が高いという説もあるようです。

 

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