佐原城跡

佐原城跡 横須賀

 
※2022年2月3日現在の状況です。

 

佐原城跡
城跡への上り口は2~3ヶ所あるようですが、一番分かりやすいのはここ。佐原の打ちっぱなしやテニス場が固まっている場所を目指して行けば良いでしょう。
佐原城跡
ダイヤランドテニスクラブの向かい、三浦学苑のグラウンドの手前に城跡への入口があります。小さいけど「佐原城址」と道標があるのですぐに分かります。

 

佐原城跡
上り道はこんな感じ。
佐原城跡
緩やかな上りが続きます。舗装路。
佐原城跡
上り始めて2~3分、開けた場所が見えてきました。上り口からの標高差ほんの10mほど。

 

佐原城跡
フェンスの向こうは一段低い平場になっていました。
佐原城跡
正面を見ると鉄塔と資材置場と畑しかないように見えますが、、、
木の陰に隠れて立派な石碑が建っていました。

 

佐原城跡
現在は石碑が建つのみの佐原城跡。佐原義連の居城であったと伝わる城。佐原義連は三浦一族4代目三浦義明の末子。今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で佐藤B作さんが演じている5代目三浦義澄の弟ですね。今後ドラマに佐原義連が登場するのかどうかは分かりませんが、楽しみにしています。

 

佐原城跡
「佐原十郎義連城跡」「明治廿六年九月八日佐原里民建之」と書かれた石碑。明治26年=1893年。
佐原城跡
石碑の周りも荒れ気味だったものを、2019年に地元の町内会の方々が草木を刈り、道しるべを設置するなど2ヶ月かけて整備したんだそう。
※クリックして拡大可

 

 康平六年(一〇六三)、前九年の役の戦功により、三浦半島を領地として与えられた平大夫為通は、三浦の姓を名乗り、現在の衣笠町に衣笠城を築きました。以後、数代にわたり三浦半島の各所に一族を配置して、衣笠城の守りとしました。
 この台地は、第四代三浦大介義明の子佐原十郎義連が、城を築いた所と伝えられています。現在、この台地を中心に残っている地名に、的場まとば射矢谷いれやがと殿騎とののり城戸際きどぎわ駿馬入しゅんめいり腰巻こしまきなどがあり、自然の地形を上手に利用して山城を築いた当時の様子をしのばせてくれます。
 この台地の前方、北から東にかけての地域は、内川新田と呼ばれ、工業団地になっていますが、当時は深い入り江となっていました。この入り江をはさんで、対岸に怒田ぬた城がありこの佐原城とともに衣笠城の東面を固めていました。
 また、この台地は、昭和五十一年の一部発掘調で、弥生時代中期(約二〇〇〇年前)から飛鳥時代(約一四〇〇年前)にかけての村の跡であることも明らかになっています。七、八軒の家があって、この谷戸付近に初めて水田を開発し、稲作農業を営んでいたと考えられています。

横 須 賀 市

案内看板より(現在は撤去されている)

 
 

Wikipedia(佐原城)
Wikipedia(佐原義連)
久里浜観光協会(佐原城址)
カナロコ(横須賀・佐原城跡 埋もれた歴史に光 石碑周辺を整備)

 

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