妙本寺

妙本寺 鎌倉

DATA①

宗派日蓮宗
山号長興山(ちょうこうざん)
寺格霊跡本山
創建1260年(文応元年)
開山日蓮(1685年刊行の「新編鎌倉志」によると日蓮の弟子の日朗を開山としている)
開基比企能本(ひきよしもと)
本尊三宝尊

DATA②

住所神奈川県鎌倉市大町1-15-1
電話0467-22-0777
駐車場なし(近くにコインパーキングあり)
アクセスJR鎌倉駅から徒歩8分
江ノ電鎌倉駅から徒歩8分
拝観料金志納
拝観時間寺務所は9:00~17:00
ホームページhttps://www.myohonji.or.jp/

 

妙本寺
参道入口。
小町大路にある夷堂橋(えびすどうばし)のたもとからの分かれ道にある「南無妙法蓮華経」の題目塔が目印。奥に見えるのが総門。ここから総門までは約90m。
妙本寺
【総門】
大正12年(1923年)関東大震災で倒壊し、大正14年(1925年)に再興されたもの。
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妙本寺
【比企能員邸址碑】大正12年(1923年)
総門前にある。
このあたりは比企谷(ひきがやつ)という谷で、比企能員をはじめ比企一族の館があった場所。

妙本寺
総門前の題目塔。
元は祖師堂前にあったものを天明5年(1785年)にこの場所に移転したもの。「南無妙法蓮華経 賜紫 日顗」と刻まれている。

 

妙本寺
【比企谷幼稚園】
お寺のお堂かと思ったら何と幼稚園!当初から幼稚園として設計されたものだそう。昭和12年(1937年)築。総門をくぐって右手にあります。
妙本寺
「鎌倉殿の13人 比企能員ゆかりの地」ののぼり。
のぼりの左側に方丈門があって、そちらからも入れるようでしたが、まっすぐ緩やかな上り坂の参道を進みました。
ちょうど幼稚園のお迎えの時間帯だったようで、賑やかでした。

 

妙本寺
少し進むと静かな参道に。
妙本寺
石段を上ると目の前にどーんと大きな門が現れます。
総門からこの階段まではおおよそ200mほど。

 


 

妙本寺
【二天門】
仏教の守護神・帝釈天に仕える四天王のうち、持国天と多聞天(毘沙門天)を安置してあることから、仁王門とは言わず二天門と呼ぶのだそう。
門の前で結婚式の前撮り?か何かの撮影がされていてゆっくり見れなかった・・・
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妙本寺
見事な龍の彫刻。平成の大改修で塗り直されて鮮やかな色を取り戻した。

 

妙本寺
左側:阿形・多聞天
妙本寺
右側:吽形・持国天
妙本寺
二天門横にある碑「霊跡 本山妙本寺」

 

妙本寺
二天門の裏側
妙本寺
手水舎

 


 

妙本寺由来
妙本寺は、日蓮聖人を開山に仰ぐ、日蓮宗最古の寺院です。開基は、比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者比企大学三郎能本です。
この地は比企能員一族が住む谷戸であったところから「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれています。しかし、比企一族は建仁3年(1203年)に権力保持を目論む北条一族によって滅ぼされました。その争いを「比企の乱」といいます。
比企の乱の時、まだ幼少で京都にいたため生き延びたのが比企大学三郎能本でした。能本は、鎌倉の町に立って命がけの布教をされている日蓮聖人に出会い、「わが一族の菩提を弔って下さるのは、このお聖人しかいない!」と決心し、自分の屋敷を日蓮聖人に献上したのが妙本寺の始まりです。
日蓮聖人は、文応元年(1260年)比企能本の父・能員と母に「長興」、「妙本」の法号をそれぞれ授与し、この寺を「長興山 妙本寺」と名付けられました。
第二祖は日朗聖人、第三祖日輪聖人を迎え、以来妙本寺と池上本門寺は一人の貫主が両山を統括する(両山一種)とう方式が第74世 酒井日慎聖人の代まで(昭和16年まで)続きましたが、第75世 島田日雅聖人の代より専任の貫主をむかえることになりました。

公式ホームページより

 

妙本寺
【祖師堂】
日蓮聖人(祖師)を祀るお堂。
二祖 日朗聖人が建立、第8世 日調聖人が再建し、現在の十二間四面の祖師堂は約170年前に第47世 日教聖人の時に建立されたもの。
“お堂内中央正面の厨子に日蓮聖人を、向かって右脇に日朗聖人、左脇に日輪聖人をお祀りしています。(ホームページより)”
この祖師堂のあたりが、比企能員の義母であり源頼朝の乳母であった比企の尼(鎌倉殿の13人では草笛光子さんが演じている)の館があった場所とのこと。北条政子はここで万寿(後の2代将軍・源頼家)を出産している。
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妙本寺
祖師堂正面
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妙本寺
祖師堂側面
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妙本寺
祖師堂前の広場。正面に二天門。
妙本寺
祖師堂の回廊。

 


 

妙本寺
【比企一族の墓】
祖師堂の向かって右手にある比企一族の墓。真ん中に4基の五輪塔。
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妙本寺
比企一族の墓のそばには、他にもとても古そうな墓が並ぶ。
右から3つ目のひときわ大きな五輪塔は、前田利家の側室(千代保)の逆修塔(生前供養塔)なのだそう。

 

妙本寺
【一幡之君袖塚】
一幡(いちまん)は、鎌倉幕府2代将軍 源頼家の長子であり、比企能員の孫。
妙本寺
1203年(建仁3年)、比企の乱(比企能員の変)によって6歳で命を落とした一幡。吾妻鏡によると、小御所(一幡の屋敷)の焼け跡から見つかった遺体の下に一寸ばかりの焼け残った小袖があり、乳母の証言からそれが一幡のものであるとわかった、という事で、その小袖を供養しているのがこちらの袖塚。

 

妙本寺
日蓮聖人銅像】
平成14年(2002年)に造られたもの。
妙本寺
宗祖讃歎之碑しゅうそさんだんのひ
銅像のそばにある。おとなりの常栄寺(ぼたもち寺)の歌碑が有名な塚本柳斉の詩碑。塚本柳斉の墓もこちらのお寺にあるのだそう。

 

妙本寺
【万葉集研究遺跡碑(仙覚律師の碑)】昭和5年2月
ここは新釈迦堂があった場所であり、竹御所(鎌倉幕府2代将軍・源頼家の娘であり、4代将軍・藤原頼経の正室)の墓があった場所。新釈迦堂の僧である仙覚(せんがく)が、ここで万葉集研究の偉大な成果を上げた、という事が書かれています。
妙本寺
【鐘楼堂】
大正12年(1923年)関東大震災で倒壊、昭和9年(1934年)復興。
封鎖されているのでここまでしか近づけない。

 

妙本寺
【歴代廟(れきだいびょう)】
妙本寺歴代住職の墓所。現在は第82世のご住職。

 


 

妙本寺
本堂】
大正12年(1923年)関東大震災で倒壊、昭和6年(1931年)に再建。以下、ホームページより転載。
“正面に久遠実成の本師釈迦牟尼佛を、その両脇には末法の世における法華経流布を誓われた本化の四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)を安置し、その前に末法の世の導師であり、日蓮宗の開祖である、日蓮聖人の座像を安置する。また、正面脇には法華経行者守護を誓われた鬼子母神・十羅刹女・徳叉迦を祀る。”
妙本寺
寺務所】
大正12年(1923年)関東大震災で倒壊、昭和7年(1932年)再建。
こちらで御首題をいただきました。

<2022年6月現在、コロナ対策で書き置きでの対応のみ>

 

妙本寺
本堂/寺務所前の階段(約60段)を下りる。
階段の両側にはアジサイ。まだまだ咲き始めでした(6月中旬)。
階段の途中に公衆トイレあり。
妙本寺
階段を下りきったところに方丈門。
本来は方丈門から入って本堂→二天門→祖師堂の順に参拝するのが正解なのかも。

 

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